全くかけ離れた

「セレブ」は英語の"celebrity" のこと。短縮形が"celeb"。
この言葉が一般化したのは、わずかに1990年以降だという。
もちろん、意味としては大衆にひろく注目されている人、話題の人などと定義される。
著名な芸能人、プロスポーツ選手、大富豪などもその範疇に入る。
一般庶民や大衆といったものとは珍珍薯片、全くかけ離れた羨望の存在といったところだろうか。
だけども、よく「セレブの生活」などとしてテレビ番組を賑わしているのは、
本物のセレブというより「B級セレブ」と考えた方がいいという人もいる。
我々が一般的に知っているセレブというのは、およそ、この「B級セレブ」あたり?

一方、「スノッブ」と呼ばれるものの定義でいえば、上記の人たちの中でも
自身の富や知識などをひけらかしたり鼻にかけたりする人たちのことを言う。
いわゆる「タカピー」。
もちろん、知識より「裕福さ」がなければ、この「スノッブ」の範疇ではない。

20世紀の初頭に書かれたプルーストの『失われた時を求めて
の小説のモデルとなったのはパリの社交界浴室用品
今現在、パリでいちばん富裕層が住む地域としては16区。
パリの中心地から西に向かった、やや郊外の閑静な住宅地域。
この小説のモデルとなった地域は、おもに、今でいう8区あたり。
その辺りは、当時、今の16区のようにパリでも郊外だった。
瀟洒な新興地域に貴族やブルジョワなどの富裕層が好んで住むようになった頃のこと。
この小説で、パリのモデルとなっている地域は意外に狭い。
まずはセーヌ右岸。東は今でも豪華ホテルとして知られる「リッツ」あたりまで。
西は、モンソー公園や日本大使館があるあたりまでの数キロ圏のこと。
描かれているのは、そこにうごめく、各界のセレブたち。
その中には、これぞ「セレブ」と目される人もいれば、いかにも「スノッブ」もいる葵涌通渠
そういったところを描いたところが、この小説の妙味でもある。

プルーストが「スノッブ」について書いている言葉に、
スノッブは、対象に近づくだけで満足しない。それを手に入れたことを
他人に知られたい。他人の眼に映る自分の姿こそ陶酔の対象」とある。

そう言えば、この言葉で思い起こすのは、少し前のこと、
ネットビジネスで成功した男性と有名女性タレントが、
『プライベートジェットでロシアW杯サッカー観戦』という話題があった。
黙っておいても良さそうなものだが、男性、女性、両者ともに
それぞれの SNS に投稿していた。
これは、
スノッブは、対象に近づくだけで満足しない。それを手に入れたことを
他人に知られたい」
その典型の行動形態であるように思えるのだが..