市場関係でし

人口が多い分、病人・怪我人も自ずと多くなってしまう東京ですが、その分病院も多かったようです。ざっくり分けると官立、公立、大学附属病院、その他の団体の病院といったところでしょうか。以下にその特徴を並べていきますのでよろしかったら眺めてやってくださいませ(*´ω`*)

◆官立病院
東京帝大附属病院、同分院、伝染病研究所の診察所のみ。
今和次郎先生曰く『帝大附属病院=病院の王様』と言うくらい設備完備、診察料&薬価も安かったとのこと。となると大して重症じゃない患者も押しかけちゃうんですよね~(-_-;)
この混雑のため順番札さえなかなか取れなかったようで、『患者のために順番札を取る』ことをビジネスにした帝大病院案内所なるものが存在しビジネスとして成り立っていたそうです/(^o^)\
てか、現代でもこのサービス欲しい・・・3人くらい前になったらメールやアプリで連絡くれるとか。病院の待ち時間って本当に長いですし、子供やお年寄りだと待合室で感染症をうつされたりするじゃないですか(>_<)
美容院の予約じゃないですが、担当医の空いている時間に予約が入れられるようなシステム、欲しいかも。でも色々難しいんだろうなぁ(´・ω・`)

◆公立病院
渋谷の赤十字病院、神田和泉橋の泉橋病院、府下松沢村の松沢病院
更に市設五大病院(築地病院、広尾病院駒込病院大久保病院、大塚病院)
松沢病院は元々巣鴨病院といって精神病患者を扱っていたようですね。
築地、広尾の両病院は施設病院とのこと。市場関係でしょうかねぇ(・・?
駒込、大久保の両病院は伝染病病院、泉橋は三井の寄付による財団法人の慈善病院という区分けがなされていたようです。
なお泉橋(和泉橋)には幕末に種痘所→医学所があったのでこの泉橋病院はその流れをくんだものなのでしょうか。幕末ファンとしては萌を感じます(*´艸`*)


◆学校付属の病院
四谷信濃町の慶応病院、本郷根津の日本医科大付属病院、神田駿河台日本大学医科附属病院、東京医専付属博愛病院、芝の慈恵医科大附属病院、東京女子医専の東京至誠病院など数多く(今和次郎先生曰く『うんざりするほど』)ありました。てか現代でもある病院ばかりですよね、多分(^_^;)
更にこの時期は大震災被害から立て直し、最新設備を備えた新しい病院も多かったようです。ある程度は儲かっていたのかもしれませんが、この時代は伝染病研究がかなり発展していた時期、数年前の設備がまたたく間に古臭くなり、地震の被害=怪我の功名とばかりに思い切ってリニューアルに踏み切ったのかも。
医学に限らず、戦前の日本の理系分野研究は驚くほど勢いがありましたからねぇ。そんな勢いが医学分野にもあったに違いありません。

◆その他病院
上記以外にも勿論大きな病院はありました。聖路加病院に順天堂病院、杏雲堂病院などなど・・・これだけの多くの病院が乱立しながら潰れること無く、100年近く残っているということは需要がそれだけあるということでしょう。
本当なら病院、警察、消防は失業するくらいが平和なんでしょうが、東京に人がいる間はめちゃくちゃ繁盛しそうです