当時の営業成績は

道路の項でも取り上げましたが、現代以上に移動手段、運搬手段が多岐にわたって針灸療法いた昭和初期。各種乗客争奪戦がかなり熾烈だったようです( ̄ー ̄)ニヤリ
例えば『円タクvs人力車』だと円タクの圧勝、省線と市電ではそこそこの勝負、では円タクと青バスでは・・・?とそれこそスポーツ観戦のごとく東京住人の興味をそそっていたようです(*^_^*)

まずは市電から。東京市内に200マイルもの軌道網を敷き、1200台もの車両を走らせていた東京交通の『横綱』でしたが、その勢いは震災を境に徐々に衰えていたようです(´・ω・`)その最大の敵は現代の山手線を中心とした省線!震災を機会に山の手循環線を完成させた省線が勢いを増していたようです。
因みにこの当時の営業成績は・・・

市電:乗客120万人 一日あたりの収入:8万4000円(一人7銭←どこまで乗っても一緒)
省線:乗客96万人  一日あたりの収入:7万300円

ただし省線の営業線は60マイルだけ・・・市電の1/3に満たない距離でここまで乗客数&収入に痔瘡治療迫っているのには勿論理由があります。それは人々の居住地域が郊外へと移っていってしまったこと。
以前にも書かせていただきましたが、震災によって人々は焼け野原になった東京ではなく、避難を兼ねて郊外へと引っ越して行きました。となると強さを発揮するのが頑丈で市電よりも遥かに速度が早い省線です。そりゃあ勤め先からの距離が伸びてもできるだけ早くおうちに帰りたいと思うのは人間の性ですもの珍珍薯片・・・その要望を叶えてくれたのが省線ということです。
更に市電にとって厄介だったのがバスや円タクなどの車達(>_<)市電以上に小回りがきく車にも客を取られてしまったいたようです。(詳細は次回に。結構熾烈な争いがあったようです)
勿論市電は市電で良いところがあったんですよ。毛細血管のように東京の隅々にまで路線を広げ、しかもどこまで乗っても7銭というお安さ!それこそ庶民の足としてはこれ以上のものは無いと思うのですが、人間新しいものの誘惑には勝てないようで(^_^;)しかも距離関係なく7銭だと営業的にも無理があったのかしら(´・ω・`)
最近は『トラム』と言うかたちで市電が見直されていますので、もしかしたらどこかの都市での復活はあるかもですが・・・東京だとまだ難しいかなぁ。

次回は市電のもう一つの強敵、円タクの事情を取り上げてみたいと思います