思い出と後悔に

木枯らしが吹きすさぶ季節がやってきた。
こんな季節には上田敏訳のヴェルレーヌの詩『落葉』が浮んでくる泰國買樓
「秋の日のヴィオロンのためいきの...
 げに我は、うらぶれて ここかしこ 定めなく 飛び散らふ落ち葉かな」
この最後が何ともしんみりとさせられる。
こんな詩を口ずさむ季節でもある。
そして、街に流れるのはジャズナンバーとしても定着しているシャンソン『枯葉』。
「あなたが歌っていた歌をしみじみ思い起こしていると、
北風が吹きすさぶ中、思い出と後悔に苛まれてしまう。
思い出すのはあの灼ける様な太陽のもとででも愛し合った二人。
そんな、あなたとの日々が蘇ってくる。
本当に愛したあなた。
そうなの、今は何の後悔もない。
いつもいつもあなたの歌が心に響いている...」

この曲はジョゼフ・コズマが作曲したものに、
ジャック・プレヴェールが詞をつけたという形式孔聖堂中學banding
そのために、曲はしんみりと流麗だけど、詞は全体的に抽象的なところがあり、
邦訳するには難解。だけども心に響く歌詞である。
このプレヴェールはシュルレアリストとの交流、
ピカソなどのアーティスト、そしてピアフやグレコなどともとも親交があった去頸紋
映画人にも通じ、映画『天井桟敷の人々』のシナリオも書いている。
その映画の中にも窺えるが、猥雑な人たちが登場したり、
裏切りや貧困など人の裏面などを描く中にささやかな愛。
彼が描こうとしたものは「忌まわしきものの うちなる美」と表現している。

1920年代、そして1930年代のパリは、狂乱と呼べる時代。
そこには人を惹きつける
「忌まわしきものの うちなる美」が渦巻いていた...

君にしか効かな

どうも、フェロモン20%増量キャンペーン中の晋作です(笑)

いやいや、嬉しいけどフェロモンじゃないっしょ😘(笑)

と、反論してみたくなる慢性反抗期(笑)

フェロモンなんて、そんな目に見えないものが出ているのなら、、、僕はもっとモテモテで良いはずだ(笑)

もし、フェロモンが出ているとしたら君にしか効かない極めて指向性の高いフェロモンということになる。

そして、君を魅力的じゃないと思う人はいるのかな?とさえ思うよ。

可愛くて知的で教養に溢れ、誰に対しても気遣いを忘れず笑顔で接することができる。。。

僕に言わせれば、君こそフェロモンの塊であり、フェロモン大臣なのだ(笑)

君に会えば、嫌な気持ちになる人など、、存在しないのではないか?

まさに、クラゲ👾のような天使👼のようだと思っているのよ。。

しかし、僕は人間的な魅力を備えた人になりたい。

って、ホントに人間的な魅力を備えた人はそんなことを考えたりしないのだろう。

昔々、今では偉そうにしてる僕にもヤンチャしてた頃がありました。

盗んだバイクで走り出す🎵的な(笑)

まぁ、青春ですなぁ。。

親にはあまり反抗した記憶がないのだけど、あの頃の僕は学校の先生を含め大人がすべて嫌いだった。

バカにして、煙たがって、いきがっていた。

そんな荒れ果てた中学生活の幕開けだったのだけど、ある一人の先生の話だけは素直に聞くことができた。

その先生がいたからラグビーを始めたんだ。

人間力に溢れた人。

今でも尊敬する頭が上がらない人。

今でも夜中に電話が来れば、呼び出されてお酒にも付き合います(笑)

不思議ね😁

でも、君も言ってたけど、そうやっていろんな出会いが人生を変えるきっかけになるのだと思う。

僕は人の人生を変える仕事をしている。

良くも悪くも。

同じ言葉を言ったとして、人間的な魅力がある人にいわれたら素直に心に響くが、魅力のない人に言われても、、、はいはいって流して終わりだろう。

その先生は典型的な『人たらし』なのだと思う。

女性を、、特に君を惹き付ける魅力はもちろん欲しいが、、男も女も人が人を魅力的だなぁと思える人に僕はなりたい。でも、それって見た目じゃないと思う。

あれは素質なのか経験なのか、、テクニックなのかわからないのだけど、、

まぁ、、これからも精進します

転売そのものを

いるんだよね…
某下着のセールで、転売ヤー


常に初日、群れでトップを陣取って。
50オーバーのオバサンが6人くらい、いやもしかしたらもっと仲間はいるのかも香港傳統文化
あと超絶気持ち悪いことに、60くらいの爺も。
ワゴン張り付いてショーツの束をガッサー!とかき分けてるの。
あれ見たらほんとげんなり…
キモいキモ過ぎる。
フリマに大量出品してるのって、間違いなくそういう連中ですよ。
私はもちろん個人使用するために買うだけだし、売ることはあってもフリマでは絶対買わない。
あれを見たらいくら新品未使用、更に洗濯後に着用でもフリマでは決して買えないよ。


聞いたところによると
「あの人達は生活かかってるから必死」らしい。

倫理的な問題を一旦置いておくと、転売そのものを完全否定しているわけじゃない。
安く仕入れて利益を上乗せして serviced apartment、経費を差し引いて売る。
個人か業者かの違いだけで、やってる仕組みは小売の原則だ。
例外はあれど、合法だし。
だけど、物が物でしょ〜
模型とかなら抵抗ないわよ。安く仕入れて改造して売ったって、何も感じない。
だけどいい歳して、絶対自分では使わないパンツかき漁って。
ローライズ、ローライズとか呟きながらワゴン荒らしてるの。ほんとキモい!!
転売ヤー以外の周りの女性に白い目で見られながら。
生活を賭けて…惨め過ぎる(爆)
恥ずかしいと思わないのかな?
それなりの年齢の孫がいてもおかしくないような爺だけれど、自分の祖父がこんなんだったら縁切りだわ…
私からすると父親とそこまで変わらないし、そんなことしない両親で良かったと思う。
そりゃ私達もセールで買っているけれど、それは決して生活のためじゃない將軍澳通渠
オバサン達も含め、哀れだなあ…


気持ち悪いから極力爺が触れた物は避けるんだけれど、グイグイ来るからほぼ触れてるんだよね。
掲示板にも、店から男を締め出すのは無理なのか?って声が挙がっていた。
不快感、嫌悪感を覚える一般の女性は多いはず。
普通の男性が彼女の付き添いで下着屋に入るケースでさえ賛否あるんだから、まともな感覚ならどん引きだよ。
でも締め出しはできないだろうなー


生活がかかってるだなんてお可哀想、と憐憫の目で見るだけで我慢しましょ。

早速ミカン狩り

毎年11月のこの時期に開催される自治会主催のミカン狩りが、昨日の日曜日に行われ
細君共々参加してきました。

折からの行楽日和に誘われ、参加者も結構多く50名余で盛況なイベントとなりました。
今年は自治会の役員も昨年で終わり、一参加者の立場で少し気楽に楽しく参加しました。

三浦海岸まで京急快速特急に乗り、いつもの赤い電車でなくブルートレインでした。
久しぶりのボックスシートで、短い旅でしたが快適でした。

三浦海岸駅から歩いて数分の場所にあるミカン園です。
ここは、「マホロバ・マインズ三浦」というリゾートホテルの目の前にあるミカン園で、
10時頃に着きました。

入口で、ハサミと袋を頂いて、早速ミカン狩りとなりました。園内ではミカンの木から捥いで
食べたり休憩したり、袋に入れたりと全く自由です。

みかんは木によって、また日当たりにより甘さも、全く異なり美味しいミカンを識別するのも
結構大変でした。
私は7~8個いただきましたが、細君は3~4個ほどのの試食だったようです。意外と食べられない
ものですね。

解散は園内で自由とのことでしたので1時間余りで、細君とミカン園を後にしました。何組かの
方たちと帰路に着きましたが、車ではなく電車でしたので日頃いけない場所に細君共々行き、
三浦海岸まで足を延ばしました。なお、途中の総菜屋さんのイートインで昼食をとり、
自宅に戻りました。

結構疲れましたが、日頃触れ合えない自治会の方たちとも交流出来楽しいイベントでした。

瞳の拡張を抑える

人間の「瞳」は興味あるものを見せられると、
その「瞳」の部分が20%も大きくなるという舒緩壓力
これは、ポーカーなどをプレイしていると、これは頂けない。
どんな手を持っているか人には知られてしまう。
この「瞳」如実に喋ることになる。
人の心の動きが「瞳」というものを通じて外にバレてしまうことになる。
大きくなったりするのをどうコントロールするかが
ポーカープライヤーの手腕。
「悪い手」が来たのに「いい手」が来たような瞳を作ることができれば、
百戦戦えど危うからず生日禮物、ということになる。
もちろん、「いい手」が来ても、瞳の拡張を抑えることができれば、
勝利も間近となる。

今回、安倍首相が中国に訪問という記事が出ていた。
あれほど日本を嫌っていたような中国の首相からの招きだという。
そこでは、習近平主席とも会談の場があるそうだ。
「はて?」これまでの、アノ態度は何?というところ。
外交問題は、ポーカーゲーム孔聖堂中學Banding
どんな「瞳」になっているのか?今一度、確認する必要がありそうだ。

今日は、野球のドラフト会議もある。
これも、各球団の未来が託されている。
秘密主義は当然。「瞳」の動きには細心の注意。
とかく、ブラフ(はったり) を使ったり、丁々発止の駆け引きの場。
「目は心の窓」開けっ放しは禁物。

そんなところだろうか...

迎えて恒例の研修開催

さすがにこれはトンでもなかった。

明日からの2日間、何十人もの受講者を迎えて恒例の研修開催。
わたくし主担当。そして講師。

だというのに、今日までほぼ何も準備してなかった。
いくら事務仕事をする時間が日中全然取れないからって、先延ばししすぎた。
だってもう夜中に家で仕事するのはヤだったんだもん。…なんていってる場合じゃなかった。
急に予定外の出張が重なったんだもん。…なんてビジネスマンがする言い訳ではありません。。


反省。
とても反省。
とにかく反省。
ずーーーん。。(涙)

この借りは結果で返すしかないので、がんばります。。

防衛のための城壁

台風の到来に戦々恐々とした時を過ぎ、
見上げれば突き抜けるような青い空が広がっている尖沙咀美容院
このような秋は実りも豊かで、
馬も秋の実りゆえの食に満ちているのか、いつになく肥え太っている。
このような季節を捉えて「天高く馬 肥ゆる秋」などと言ったりする。
本当は、この言葉、決して安穏とした様子を謳ったものではなく、
むしろ逆。起源は日本ではなく中国。
万里の長城は古くは秦の始皇帝が作ったとされるが、
これの目的は匈奴と呼ばれた外敵が侵入しないように防衛のための城壁。
外部からの侵入者は敏感肌、たいてい騎馬民族
それらの馬が越えられないような険しい山の稜線に沿って
頂上が築かれている。
これを越えていくためには、体力がある馬でなければ越えてはゆけない。
騎馬民族の馬が肥える時節は秋。
この秋が来たら「要注意」となる。騎馬民族の侵入に警戒せよという意味。
唐の時代の詩人・杜 審言の詩の中に「秋高馬肥」という言葉が出てくる。
これを読み下すと「秋高く馬肥ゆ」となる。
これも長詩の中の一節脫肛痔瘡。この詩の中で語っているのは
牧歌的な生易しいものではなく。
「秋高馬肥」になってきたから、努努(ゆめゆめ) 怠ることなく、
異民族の侵入に備えようではないかの意味となる。

考えてみれば、こんな風に、人間歴史は戦いの歴史。
レヴィ・ストロースの言葉に
「地球の歴史は人間なしに始まった。そして、人間なしに終わるだろう」。
我々は心のどこかで「地球最後の日」は「人類とともにある」ような
思いを持っているが、それは、人間中心主義の勝手な思い込み。
地球が滅びる時、人類は、とっくの昔に滅んでいるよ。

そうだろうな。それなら外的侵入など考えずに、暫し「天高く馬 肥ゆる秋」を楽しもう。
そんな秋です...